福田和子(松山ホステス事件犯人)の現在や動機と息子は?和菓子屋の場所は?【教えてもらう前と後】

どうもみなさんこんにちは!

yoshikiです。

2018年5月29日(火曜日)放送の『教えてもらう前と後』では

『松山ホステス事件』の犯人である福田和子氏について特集されます。

 

指名手配後も、何度も整形手術を重ねそのたびに顔を変え

逃げ続けた福田和子氏は捜査官の間では『7つの顔を持つ女』とも呼ばれ

時効ギリギリまで逃げ続けたことで有名になった事件です。

 

今回はそんな松山ホステス事件の経緯や被害者

犯人である福田和子氏の動機や現在と息子などについて

お話ししていきたいと思います。

教えてもらう前と後 番組出演者情報【5月29日放送分】

MC
滝川クリステル

レギュラー
博多華丸・大吉

専門家
伊藤洋一(ジャーナリスト) 友利新(医師)

ゲスト
東貴博 小倉優子 島崎和歌子 中山秀征 宮崎美子

 

福田和子のwiki的プロフィールと経歴紹介!年齢は?

引用:naverより

名前 :福田和子(ふくだかずこ)
誕生日:1948年1月2日
年齢 :57歳没
出身地:愛媛県松山市
職業 :ホステス

福田和子氏は、幼くして両親が離婚し母親に引き取られることになります。

その後、母が漁師と再婚したことにより来島に移り住みますが

島の排他性に馴染むことができず、母親と共に今治市に移住。

 

それから、愛媛県内の高校に入学しそこで同級生との交際が始まりますが

その彼氏が在学中に事故死してしまい福田和子氏は自暴自棄になり

高校3年生の頃に高校を退学。

 

そして、自暴自棄なまま過ごす生活が始まり

18歳の時には同棲していた男性と高松市の国税局長の家に

強盗に入り逮捕、松山刑務所に服役することとなります。

 

そして、服役中の1966年。

松山刑務所内で男性受刑者が、看守を買収し女性受刑者を

強姦するというひどい事件が発生し、福田和子氏も

この事件の被害者の一人となってしまいます。

 

さらに、移管された高松刑務所内でも同様の被害にあいましたが

これらの事件に関しては被害届を出すことは認められませんでした。

そして、服役期間を経て出所しホステスで働き始めます。

 

ここまで読んでみると、これまでの人生が不運の連続で

性格が歪んでしまったのかな?と少し同情してしまいます。

 

松山ホステス殺人事件の内容や経緯と動機は?

1982年8月19日に愛媛県松山市のマンションで

当時31歳だったホステスが殺害され

そのマンションから家財道具が運び去られるという事件が発生。

さらに遺体は山中に遺棄されます。

 

この事件の犯人が、福田和子氏とその旦那です。

亡くなったホステスは、当時その店で

ナンバーワンの人気を誇る女性だったそうで

同じホステスである福田和子さんは客を取られ

嫉妬の念から犯行に及んだとされています。

 

この事件で注目されたのは、犯人である福田和子氏が

整形手術を受け何度も顔を変えた上で逃亡を続け

強盗殺人罪の公訴時効である15年直前まで

逮捕されずに逃げ続けていたという点と

 

マスコミの報道により、市民からの通報がきっかけで

15年間の逃亡生活に幕を閉じてしまうという2点です。

 

犯行から逮捕までの期間は実に5459日!!

時効まで残り21日という本当にギリギリのところで

逮捕に至ったそうです。

 

逃亡期間中、福田和子さんは整形を繰り返し顔を変えながら

日本各地を転々としていました。

一度、石川県根上町(現在の能美市)にて和菓子屋を営む男性の

後妻として一緒に和菓子屋を営んでいたこともありました。

 

この時、後妻でしたが入籍はしていなかったようで

主人が福田和子氏に正式に結婚を申し込むも頑なに拒否されます。

おそらく、結婚することで正体がバレることを恐れたのでしょう。

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この結婚のを渋る福田和子氏の態度があまりに不自然だったことから

親戚が石川県警に通報し、逮捕に向かうも

福田和子氏は事前にその動きを察知し、自転車で逃亡。

この時の逮捕は失敗に終わってしまいます。

この時に初めて警察は福田和子氏が整形をしているということを知ります。

 

その後も、逃亡生活は続き全国指名手配などを行うも手がかりは得られず。

しかし、公訴時効が迫り焦り始めた松山東警察署は

手配写真入りのテレホンカードの配布、肉声の公開に加えて

懸賞金100万円という当時としては非常に珍しい捜査形態を取り

全力で福田和子氏の逮捕に専念したそうです。

 

その結果、福田和子氏が福井市に潜伏していた1997年。

自身が常連客として通っていたおでん屋の店主に声を怪しまれ

店主が密かに採取しておいたビール瓶とマラカスから得られた指紋が決め手となり

福田和子氏は15年という長い逃亡生活に終止符を打ちます。

やっぱり声ってバレるものなんですね・・・

福田和子の今、現在は?

15年という長い逃亡生活の末、時効ギリギリで

逮捕されてしまった福田和子氏ですが

松山市へ身柄を送致され取り調べを受けたのち

1997年の8月18日に殺人罪で起訴されます。

 

その後、2003年11月に最高裁にて福田和子氏の無期懲役が確定。

服役生活が始まりますが、服役から2年も経たないうちに

くも膜下出血を発症し和歌山刑務所にて死去してしまいます。

福田和子の夫や息子の現在は?

逮捕され、服役からわずか2年で亡くなってしまった

福田和子さんですが、犯行当時に共犯である夫と

子供がいらっしゃいました。

 

夫の方は、福田和子さんとともにホステスを殺害しているので

死体遺棄の共犯で逮捕されています。

 

息子に関しては、現在鉄工所の経営者として勤め

すでに妻子もおり幸せな家庭を営んでいるそうです。

 

息子さんは逮捕された福田和子氏に関しては

『尊敬できる母親』と語っており

息子からは尊敬される母親として見られていたようですね。

 

残された子供達にかかった迷惑は計り知れないでしょうが

それでも、自分が親から十分な愛情を受けられなかった分

子供達にも同じ思いはさせまいと

子供にはしっかり愛情を注ぐ良き母親だったのでしょう。

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福田和子が働いていた和菓子屋はどこ?名前や店名は?

一度は警察が福田和子氏の情報を嗅ぎつけるも

惜しくも逮捕には至らなかった石川県での

和菓子屋の一件ですが場所は石川県の能美市にあるそうです。

 

店舗名に関してははっきりとは公開されていませんが

当時の時点で3代にもわたる老舗の和菓子屋だったそうで

福田和子氏の手伝いもあり店は繁盛、改装なども行ったようで

元メジャーリーガーの松井秀喜さんも幼少期によく訪れていた和菓子屋さんなんだそうです。

 

まとめ

今回は教えてもらう前と後で特集される

松山ホステス事件の福田和子さんについてご紹介しました。

 

度重なる整形で、15年にもわたる逃亡生活を続けた福田和子氏ですが

果たして逃げ切れたとして幸せな生活を送れたんだろうかと思います。

 

松山ホステス事件以降、次いだ犯行などもなく

むしろ逃亡生活中は周りの人間からも好印象を持たれていたことから

一時の過ちで犯行を犯してしまったんだと思います。

 

それならば、潔く自首して罪を償ってから

人生をやり直してほしいと思っただけに残念です。